唐突に途切れた通信に、集中力が途切れる。背筋がイヤというほどに冷たくなるのを、自分でも自覚していた。機体を動かして、周囲を見渡してみても、何も見当たらない――これだから、あれほどイヤだと言ったのだ。 レーダーを食い入るほどに見つめてみても、そこに映る光点はひとつだけ。波のように、緑に光る線が波紋を走らせるだけで、他には何も見つからない。周囲を見渡したところで、鬱蒼と茂る森の先に何が見えるはずもなく。 「……こちらアルファ01、03、状況を報告しろ」 口元のマイクに、できるだけ引きつらないようにと、最大限の努力を込めた声を放つ。だがそれでも、訪れるのは沈黙だけ。 狭いコックピットの中で、身をよじる。よもやヒステリーさえ起こしかねない沈黙の中で、ぐ、と唇を噛んだ。血の味がしたが、そんなものは気休めにすらならない。 「――ディンガム・ローティス軍曹! 応答しろ! 何が起こった!?」 叫んだところで、何が変わるわけでもない。流れるのは、ザ、ザ、と不定期に混じるノイズだけ。レーダーには、自分の機影以外の光点など、もはや映す気すらないようだった。怒りに任せて、それに拳を叩き降ろす。 ガンッ、という鈍い音に、拳に走る痛み。だがそれでも、そのレーダーの動きは変わらなかった。ヒビの一つさえ起きるわけでもなく、ただ定期的に光源を映す……ひとつだけ。 唇を噛む。よもや機体を降りてしまいたい衝動に駆られながらも、それでも操縦桿を握った。 (――撤退だ) 小隊七機のうち、六機が消息不明。唐突に消えた認識信号は、つまるところ、殺されたか、あるいはもっと別の何かか。ただそれでも、敵の姿がレーダーに映ることはなかった。……連邦の最新鋭レーダーを騙す つまるところ、それは未知の敵であった。出会った事のない、しかし―― 「こちらアルファ01、これより第三コードへ移行する」 誰にも聞こえていないと知りながら、マイクへと告げる。そして操縦桿を握り、機体を動かそうとした、その瞬間。ピ、と混じった探査音に、心臓の鼓動が跳ね上がる。 思わず、レーダーを見下ろした。しかしそこには何も映ってなどいない。早鐘のように走る鼓動に、手を当てる。……自分は、死んでなどいない。生きている。まだ。そうだ、このまま生きて帰ればそれでいい。 第一から三まで、 握る手に力を込める。今は、一刻も、早く、早く、早く――! そうして、告げる 01 / 獅子の咆哮 暗い。ただひたすらに暗く、自らの輪郭すらも保てないそれ。漆黒とさえ呼べない、純粋な黒。そこにあったのは、それだけだった。手を伸ばしても誰にも届かず、何を叫んでも答えてなどくれない。ただあったのは、時折襲いくる痛みと、最後に見た母の泣き叫ぶ姿だった。 いつしか、何の音もないことには慣れていた。自分の心の中で繰り返される声さえも、そう多くはない。 いつしか、空腹に耐えることにも慣れていた。ただひたすらに、じっとそこに居るだけで、やがて空腹は闇に溶けていく。 いつしか、自分の存在さえも解らなくなっていた。そこにあるのは自分なのか、闇なのか。だが、そんなことにも慣れてしまった。 それが、自分の世界の全てなのだと思った。ここより先には世界はなく、それが自分の触れられる全て。不満は、どうしてかなかった。 ――だから、なのだと思う。 「……君の名前は?」 見上げた光に眼を灼かれて、そして何より、少年の微笑が眩しくて。私は、ただひたすら、どうすることも出来なかった。 ――だから。だから、私は……。 「大丈夫?」 差し出されたその手を、ぬくもりを。握り返すことさえ、躊躇っていたのだ。 Century.Absolute 136 11/31:SUN UT_14:17 Planet"Talen" Section-130 Area-Glaves No.11Forest-Region ――少し、懐かしい夢を思い出していた。ただ理由もなく、ふいに浮かんだものに過ぎないのだが。 カチャリ、と防護ヘルメットを外して、ふう、と息を吐いた。見上げる空、銀の髪を滑る風――いつもながら、狭苦しいコックピットから解放されるこの感覚は、クセになるほど気持ちがいい。汗を拭いながら、地面に足を突いた、視界に広がる、その世界を見渡した。 どこまでも広く、蒼い空。峡谷に左右を挟まれて、まるで隠れるかのように鬱蒼と茂る森に、そっと風が駆け抜けて……まるで悠久の大地のそれを思わせる。こんな美しい光景は、地球ではきっと、もう見ることなど出来ないだろう。 どこまでも広がる自然。その中で、ただひとつだけ、自分が異質な何かのようで。 「隊長ー、お疲れのところ悪いんですがー」 ふと下から聞こえてくる声に、物思いを振り払う。いつもの、悪い癖だ。直さなければと思っても、そう簡単には直らない。それを悟られないように、極めて冷静に、控えめに答えを放った。 「どうかした?」 眼下、およそ五メートル近い鉄の巨人の膝元で、手を上げる赤い髪の男の姿。油にまみれた整備服に身を包んで、いまいち二枚目にはなりきれない、その顔をこちらへと向けていた。 「いえ、新機体の受領についてなんですがー」 そう、とだけ返事をしてから、トン、と滑り下りるように腕を伝って飛び降りる。着地の瞬間、クン、と衝撃を膝で殺して、そのまま歩き出す。 「相変わらず器用ですよねぇ」 思わず感心するように唸る彼の言葉に手を振る。こんなことは、熟練のパイロットならば出来て当然のことだ。 「それで、どうしたの?」 それが、と肩を竦める。紅い髪の下の童顔が、困ったように眉をひそめていた。愛嬌のある顔ではあるが、所詮は三枚目止まり、といった印象の少年で、隊内での立場としてもそんなものだった。 彼の語るには、どうやら新機体を載せた輸送機が、まだ到着しないということらしい。この少年は整備班長ではありながら、隊員の不在時の隊指揮については一任されている――というのも、単に階級が一番高いだけのということではあるが。そういえば、自分たちの訓練中に新機体を受注するように、と手配したのは自分だった。 「十五分前には定時連絡を受け取っているんですが。おかしいと思いません?」 ふむ、と顎に手を当てる。確かに、ただ単に遅れるだけならばともかく、十五分前の定時連絡が間違いないのなら、道を間違えでもしない限りもう着いているはずだ。 「腕は確かなの?」 「ええ。何でも、失敗歴は皆無なのだとか」 へえ、と思わず感嘆する。輸送、というのは簡単なように見えて、その実、職業としては危険なものとして分類されるのだ。――このご時世、どこの宙域でテロリストと出会ってもおかしくない。そしてそれゆえに、それらを回避する能力、そして直面した時の対応力というのは、時に軍人でさえも驚かせるものがある。 だがそれならば、なおのことおかしい。腕利きが道を間違えるはずもなく、かといって燃料不足で不時着するようなこともないだろう。 (まさか――) 嫌な考えが、思わず頭に浮かぶ。そんなことがあるはずがない――いや、あるいは。もしかすれば。 と。そんな考えを振り払うかのように頭を振った瞬間、ジジ、と発信機の立てるノイズ音を、彼女は聞いた。 チッ、という舌打ちは、思うよりも遥かに大きく、操縦室に響いた。鳴り響くアラームと、紅く点滅するランプは、未だ途切れる様子はない。 レーダーに映るのは、圧倒的とさえ言えるほどに展開した光点の数。それはつまるところ、絶体絶命を意味していた。操縦桿を握る両手の、その手袋の下で、イヤになるほど汗が流れていることを自覚する。 バババ、という豪快な音に、操縦桿を躍らせる。それは自然な動きでありながら機敏、蹂躙するような重力を切り裂きながら、そのアーマード・マーシナリーは、銃弾の雨の中を駆け抜けてゆく。 「こちらコード・ライリル! 至急、救援を――くそッ!」 叫ぶ声に、ノイズのひとつも返さない通信機に、思わず悪態をつく。レーダーには無数の光源、どれが味方で、どれが敵すらわからない――否、恐らくは全て敵に違いあるまい。そしてその大半が、まず間違いなく武装している。輸送機風情が、どこまでも逃げられるはずがなかった。 一瞬でも気を抜けば、即、死に繋がることは疑う余地もない。けたたましく鳴り響く、アサルトライフルの掃射音に毒づきながらも、自分の浅慮さに今更ながら後悔していた。 (割の良すぎる仕事だとは思ったんだよ) 依頼料は破格で、しかも運賃は相手持ち。もうその時点でやめてよかった。だがそれでも、その依頼料に心奪われ、つい頷いてしまったのだ。その返事に、依頼主が妙に喜んだのも胡散臭かった。どうしてそこでやめなかったのかと、何度繰り返したところでどうにもならない。 だが、と思う。どれだけ割の合わない仕事でも、まさか、戦場に放り込まれるなどとは露ほどにも思っていなかったのだ。 「グッ……!」 鋭い射撃を、どうにかカンだけで躱しながら、毒づく。左手でエラーチェックを行いながら、右手だけで操縦桿を操る。正直なところ、こんな奇跡のようなことをいつまでも続ける自信など、到底なかった。 と。ふと、耳元の通信機が、ザッ、というノイズを拾った。 「――……き……ま――か……」 「もしもし! こちらコード・ライリル! 増援を――」 ゴウンッ、と衝撃が体を揺らす。思わず操縦を失敗しそうになりながらも、なんとか持ちこたえた。……まだ、死んではいない。 走らせる左手のエラーチェックに答えて、システムが答えを返す。後部スラスターに一部損傷、しかし航行には問題なし。とはいっても、まず間違いなく回避能力は落ちるだろう。 「――き……えますか? ……聞こえますか?」 耳元のノイズが少しずつ集約して、はっきりと耳に届く。それは、凛とした女性の声だった。その声に歓喜しながら、しかし鳴り響くアラームに、思わず叫び声を上げた。 「こちらコード・ライリル! 後部スラスターにダメージ、このままではやられます!」 その叫び声に、また操縦桿を躍らせた。重力波に体が軋み、ひどい耳鳴りがする。通信機からの声を聞き逃してしまうのではないか、と思わず恐怖しながらも、しかしその心配は無用らしかった。 レーダーに絶望的なまでに無数の反応。ただそれでも、ほんの少し前まではずっといい。 「とりあえずのところ、自己紹介は抜きにしましょう。そのまま東に八キロ、飛べる?」 「正直難しいです。こうまでやられていては――ッ!」 グオンッ、と操縦桿のそれに反応して、軋むような重力波が押し寄せる。空調が効いているはずのコックピットで、しかし、この上なく汗を滴らせていた。正直、このままあと八キロなど、冗談にもなっていない。 「解ったわ。それじゃあ積み荷を降下させて、君もそれに機乗して」 「そんな! それじゃ、的になりに行くようなもんでしょう!?」 耳元の言葉を信じられず、思わず叫び返す。敵の勢力圏内に積み荷を降ろすなど、本当に冗談ではない。奪われるか、あるいは撃墜されるか。どちらにしたところで、それに乗る自分の死は確定だろう。 しかし、耳元の声は至って平静だった。こちらまでも、強引に平静にするかのように。 「だから、それに君が乗るの。アサルトの起動法ぐらい、マーシナリーと大差ないわ。オールオートでも問題ないから、動きさえすればね」 え、という声は、弾丸が装甲に直撃する轟音に掻き消された。コックピットはアラームに赤く染まり、衝撃は激しく身を揺らす。頑丈なヘルメットがなければ、今頃脳漿のひとつでもぶちまけていたかもしれない。 (アサルト……アーマード・アサルトだと!?) 胸の中で毒づきながら、コックピットを蹴る。計器が音を立てて爆発するのを後に残しながら、吸い込まれるようにバックステップを踏んだ。手すりに掛けた二本の指先だけで加速しながら、通行路に転がり込む。窓の外で、エンジンが火を噴くのが見えた。 やるしかない。ギ、と唇を噛む。あんな化物に乗るのはゴメンだが、こんなところで死ぬのはもっとゴメンだ。 格納庫へと掛ける。ボロい船とはいっても、これでもマーシナリーとして登録された輸送機だ。格納庫の広さは、コックピットの遥か数倍もあった。天井は自分の背丈よりも数倍以上、この格納庫だけで、この船の総重量が二倍に跳ね上がるほどのものだ。 ズドン、という衝撃に身を揺らしながら、すぐ近くのコンテナへと駆ける。そのコンテナは、格納庫にギリギリ入るほどの巨大な代物で、中身を確認したことはなかった。それは輸送屋としては当然のことだが、ここに来ては致命傷に近い。 トン、と壁の端末に触れる。この船の制御コンソールが、ブゥンと、無機質な音を立てて蒼いウィンドウを広げた。音声入力をオンにして、コンテナの解放ハッチに手を伸ばし、声を張り上げる。 「二十秒後にディスケントデッキ解放、カウント・ファイブで降下開始。自動航行は、出来るだけ高度を上げろ!」 ズガン、ともう一度船体を揺らす爆発。このままで、果たして二十秒すら保つかどうか。空中で爆発分解でもしてしまえば、もう一巻の終わりだ。たとえこれが鉄の巨人であろうが、そんなモノにまず耐えられる筈がない。――そしてまた、自分も。 ギギ、とコンテナが解放されてゆく。その隙間を縫うようにそれを潜り抜けて、銀の光沢を放つその鉄の巨人に手を伸ばす。逡巡する暇も、悔やむ暇もない。カン、と堅い音を立てて、膝を突く巨人の装甲を蹴る。三足で、腹部のハッチ開閉端末までたどり着く。 (……これだな) どうやら見知らぬ機体であっても、コックピットの位置は同じらしい。それは幸運とすら思えることだった。だが、そんなことを思う暇もなく、空気が解放される音と共に開くコックピットに、身体を滑り込ませた。 「ぐっ……」 コックピットの、パイロットを包むようなその感触。思わず、それにぞくりとして、声を上げてしまう。それは懐かしくて、あまりにもおぞましい――舌打ちする。こんなところまで来て、やめられるはずがあるまい。 ウィン、とコンソールに手を触れて、すかさず (なるほど。さすがは新型、というわけか) 舌打ち交じりに放つ言葉は、しかし幸運なものであった。ここまで迅速なAI起動ならば、すぐにでも降下できる。音声入力、手動入力の両方をオンにして、その指を走らせ始める。 「第一から第七番までハッチ解放。全 ピピピ、と画面中に走る機体情報に、思わず声に出さずに唸ってしまう。このスペックは、まるで―― (……冗談じゃないな) 毒づく。そう、まるで、これではまるで化物そのものではないか。圧倒的に分厚い装甲、爆発的なスラスターの総出力……先ほど言った空中での爆発分解も、この機体なら、あるいは耐え抜けるかもしれない。 ウィン、と外から聞こえてきたデッキの解放音に、はっと我に返る。そうだ、今はそんなことを考えている場合ではない。周囲に散らばっていた、コンテナの破片は、金属の擦れる音を立てて重力に囚われ、宙へと滑り落ちてゆく。 「各部チェック、システムチェック、 グイン、と強大な鉄の巨人が、その双眸に光を宿す。それは、その無慈悲なだけの鉄の塊が、新しき意思を巡らせたその一瞬。マニュアル操作による精微な コックピット内、眼前の青いウィンドウは、 (このニオイ、感覚、すべて――まるで、あの頃の……) それは果たして、悲しみなのか、懺悔なのか。揺れる動く自分自身を捕らえきれないまま、ガン、という音を立てて拘束具が外れ、その巨人は空へとその身を投げ出していく。 ブォン、という風が纏わりつく音と、それを突き抜けてゆくような轟音。コックピットの中でも、外部スピーカーを通してがなり立ててくる。これも、そうだ――これも、まるであの頃と同じ。ただ自然に、左の指先がパネルを踊る。 (スラスター、三番から四番、出力七十五。スタンスチェック、六から七へ。高度六百、一番、二番、六番スラスター、出力六十三へ) オールオートでいい? バカを言うな。こんな見ず知らずの機体に詰まれた人工知能など、ハナからアテになど出来るはずがない。なぜなら、それは人の持つそれに到達することなど、決して叶わぬのだから。 跳ねる指先。そしてそれと対照的に、右の手はまるで流れるように、あるいは撫でるように、操縦桿を滑らせてゆく。コンマ以下、あるいはそれよりも遥かな細微さで操作される姿勢移動は、まるで空を泳ぐ魚のように、美しく地上へと舞い降りてゆく。 それは、あまりに精緻なメカニズム。いや、決して機械などではなしえない、人が人であるがゆえの美しく無駄のないそれ。青と白とを基調としたその巨人は、まさしく神のごとく、すとん、と大地に両足をついた。その圧倒的なはずの質量はしかし、全く大地を揺らしていない。 訪れる静寂。遠くで聞こえた爆音は、かつて自分の相棒であった成れの果てであろうか――。 |