――それは、地獄であったと。時の英雄、レクス・ディアンティスは、その戦争を後にそう語った。
 人類が西暦を捨て去り、宇宙への移民を開始してから、百年余り。人類の希望が切望へと転ずるには、あまりにも十分な時間であったと言える。浮上する資源問題、活発化してゆく地球でのテロリズム……それらは、あまりにも多くの人々に、多くのものを失わせていった。
 ……過去最大級と呼ばれた、第十三居住衛星施設スペース「サリネリ」の爆破によって、彼ら、「ジグルズ」を名乗るテロリストたちと、宇宙統一機構SUA間での戦端が開かれることとなったのは、今もまだ記憶に新しいだろう。
 新暦、センチュリー・アブソリュート。宇宙の名を冠したその暦は、新たな希望の幕開けのはずではなかったのか。人々は疲弊し、そして嘆き、あるいは切望する。かつて、母なる星で抱き、抱かぬと踏み出したはずの――それは絶望。
 宇宙に佇む、大いなる鉄の城。しかし、銀の光を放つそれは、まるで未来を塞ぐ鉄の門に見えた。
 大地を焼き、穿ち、あるいは腐敗させ――新暦戦争の終息から、十一年。しかし、『ジグルズ』の崩壊した今もなお、各地で頻発するテロリズムは、終わりの兆しさえも見せていない……。
 コツ、コツ、とデスクを叩いていた指先が止まる。それに、物思いを打ち破って、顔を上げた。
 規則的な音が止んで、ふいに訪れたのは、痛々しいほどの沈黙だった。にっこりと微笑んでいる黒髪の女性は、しかしその実、その背後にくっきりと怒りが滲んで見えた。この歪むような空気をオーラと呼ぶのなら、思っていたよりも随分と禍々しいものなのだな、と胸中で小さく呟く。
「ええと、エル君だったかしら?」
「はっ」
 その声に、背筋を伸ばした。その黒々としたものに気圧されつつ、視線を上に向けることで回避した。なんだかわからないが、視線を合わせれば、食い殺されそうな気がする。……無論、彼女にではなくその空気に。
 彼女の手元には、自分の個人情報パーソナルデータを記した書類があった。言うまでもないが、いわゆる履歴書と呼ばれるヤツだ。
「エルリード・ゲイル・ガウンリッジ。出身は第三惑星域リレイア、現年齢は十九。十七歳でギニア府立大機甲科を飛んで主席卒業、十六歳で第二種機甲免許を取得、十七歳には第一級申請を完了。異例の若さだと当時では騒がれた。間違いない?」
「サー、間違いありません」
 淡々と読み上げるプロフィール。別に言うほどでもないが、いわゆる華々しい経歴というやつなのだろうか。だが実際のところ、そんなものよりも、ふつふつと沸騰するような、どす黒く巻き上がる何かのほうが、自分にとっては優先事項だった。
 あくまでも、彼女は笑顔だった。長い黒髪も、優しげに微笑んだ表情も、何ひとつ崩れてなどいない。ただ、その端正な顔立ちからは、どうしてもイヤなものしか思い浮かばない。……これがいわゆる、悪寒とか殺気とかいったものなのだろうか。
「では、本日一四一七時、当該区域においてB32Rに機乗、全委任行動パターンにおいて軍事行為に追従した。間違いないかしら」
 それは、先ほどから何度も放たれている問いだった。そしてまた、何度も同じ答えを返している問いでもある。
「サー、間違いありません」
 ぶちり。そんな、何かが千切れる音が、どこかから聞こえた気がした。吹き出る黒々とした気配の禍々しさに、思わずたたらを踏んでしまう。
 ああ、とふいに思う。自分はきっと、ここで死ぬんじゃなかろうかと。というか、この気配にいつまでも当てられて、果たして正気でいられる人間など、この世界にどれほど存在しえるというのだろうか。
「……では貴方は、B32Rが委任パターンに登録されていない軍事行動を取り、あまつさえ味方認識信号に銃を突きつけた、と」
 今度は、サーとは答えることは出来なかった。有無を言わせぬその雰囲気が、ありとあらゆる言葉を剥ぎ取ってゆく。……精神的尋問、というやつなのだろうが、ここまで強烈なのは世界にそうそう存在しまい。まるで核ミサイルでも突きつけられているようだと、そんなイヤな想像が思い浮かんだ。
 ごくり、と唾を嚥下する。――その音が思っていたほどに反響して、背筋に汗が流れた。……動いたら死ぬ。きっと多分、間違いなく。
「マキ」
 ふと、背後からの声に、思わず振り向く。というか、何はともあれ逃げたかったから、というだけでもあるが。振り向いたその先には、テントを抜けて入ってくる、銀髪を後頭部で纏めた、凛とした雰囲気の少女の姿があった。
(……あれ?)
 ふと、思わず何かがフラッシュバックする。それはいつの感覚であったか、何の情景であったのかも解らずに消えてしまったが。……どうしてだが、なんとなく懐かしい……。
(あ、そうか)
 この声は多分、自分にアーマードに乗れと指示してきた人物の声だ。そう納得して、思わず苦笑しそうになった。が、前面の嫌な何かに気圧されるように、それを全力で引き締める。
 ふと、その銀髪の女性はこちらの顔を見て、眉間をしかめるのが解った。意味が解らずにただ見返していると、唐突に背後から響く声に、思わず身体を跳ねさせる。
「遅いわよ、リア」
 その声にはっと我に返った彼女は、コホン、と咳をひとつして歩を進める。銀のポニーテールが、するり、と自分の横を通り抜けていった。
 ……通り過ぎてゆく頬が、どこか赤いように見えたのは気のせいだろうか。
「ごめんなさい。少し、事務に追われていて」
 言葉も、仕草も、ひとつひとつが無駄のない、そんな女性だと思った。事実その通りで、中性的な美少女、というのは彼女のようなことを言うのだろう。いわゆる、”女性から”の贈り物を山ほどもらうタイプだ。そ
 だが、そんなことは抜きにしても、彼女は十分すぎるほどに美しかった。引き締まったスタイル、端正な顔立ち、美しい銀の髪、どれを取ったところで一流の雑誌モデルと遜色ない。そういう女性が、ごつごつとした軍服に身を包むのは、どうしても違和感があった。
 ガタン、と黒髪の女性の隣へと、静かに腰掛ける。彼女のおかげもあってか、ドス黒いような気配は、微塵も残らず消え去っていた。
「さて、それでは……ええと?」
「隊長」
 今度は名前では呼ばず、自分の履歴書を差し出す。フム、とそれを手に取って……そして硬直した。
 ピシリ、という音が似合ったかもしれない。驚くように眼を見開いて、そしてわずかに瞬く。その間、それ以外の彼女のありとあらゆる動作は制止していた。――まさか、と背筋に嫌な汗が流れる。緊張に、心臓が締め付けられてゆくのが解った。
「エルリード……ゲイル・ガウンリッジ? そんな……」
 やばい、と思った。そんな馬鹿なことがあるはずないと思いながらも、しかしこの状況は致命的だ。もしも……もしも彼女が自分のことを知っていたら? ――いや、絶対にそれはない。あの情報は、確か特A級秘匿のはずで……。
「隊長?」
 ぐるぐると駆け巡る思考を、黒髪の女性の声が遮った。思わずはっとしながら、銀髪の女性を見やる。すると、それは彼女も同じだったらしく、その資料からはっと顔を上げた。
「あ、ええ……そうね。少しぼうっとしてしまって」
「……随分と珍しいですね。何か気になることでも?」
 いつの間にか、彼女の言葉は敬語に変わっていた。一応は民間人の前なのだから、軍規はわきまえるべき、ということなのだろう。……まあなんというか、民間人のような扱いが保障されるとは、とても思えないのだが。
 あの一件。輸送機から、アーマード・アサルトごと飛び降りた一件は、予想以上な惨事を招いていた。敵を数分足らずで殲滅したそれは、駆けつけた味方に、思わず銃を向けてしまったのだ。
 とはいっても、認識信号のおかげで発砲こそしなかったものの、もし信号登録が終わっていたら、まず間違いなく撃っていただろう。そしてまた、もしも全委任――いわゆる、オールオートだった場合なら、そんなことをするはずもなく。そうして、今に至るわけだ。
「彼はまず間違いなく、あの時点ではマニュアルで駆動させていたと思うのですが」
 ええ、と彼女は頷く。いくらオートでやったのだと言っても、そんな嘘が突き通せるはずもなく、ただ黙って直立することしか出来ない。
 味方に銃を向けたこと自体は、そう罪になるわけではない。実際に発砲したり、あるいは脅迫のひとつすれば、とんでもない刑罰が待っていることは間違いないが、銃を向けただけで処罰されることはありえなかった。
 この場合重要なのは――自分が、アレをマニュアルで動かしていたということ。
「確かに、明らかな機密抵触ね」
 ずばり、とその隊長が言い放つ言葉に、冷や汗が流れるのを自覚した。
 機密抵触。その言葉は、軍に関わる関わらないにせよ、とんでもなく最悪な言葉だった。新機体、それもあそこまでのスペックを持つ存在は、まず間違いなく重要機密だろう。オートで動かしたのなら誤魔化せるだろうが、これがマニュアルだとすると……。
 正直、マズい。というか、ヤバい。監禁や軟禁どころの話ではなく、この場で銃殺されても文句は言えない。
「この場合、まずは第二級で監禁し、その後に上師団に引き渡すべきかと」
 あんまりにも物騒な言葉に、姿勢が硬直してしまう。第二級監禁……いわゆる軟禁というやつである。その上、引き渡された後にどうなるかを考えれば――もはや、身震いするしかない。少なくとも、あと二十年は日の目を見ることはなかろう。
 ふむ、とその女性は顎に手を当てて、こちらとその資料とに交互に目配りした。その眼には、どこか困ったような、というよりも値踏みでもするような光が見える。……どうしてだか、ものすごく嫌な予感がした。
「いいわ」
 端的なその言葉に、わけがわからず素っ頓狂な声を上げてしまう。それは、彼女の隣に座る女性も同じようで、眉間にシワを寄せていた。トン、と資料を机に置いて、彼女は椅子から立ち上がる。その凛とした一挙一動が、ありとあらゆる意味で美しい。
「この件は不問。B32Rの一件も、味方に銃を突きつけた件も、第一級勧告のみとしましょう」
「リア!?」
 ガタン、と叫ぶように椅子から立ち上がる黒髪の女性は、その眼を驚きに見開いていた。それはきっと、自分とて同じだろう。彼女の告げたそれは、あきらかに超法規的措置そのものだった。機密に触れた一般市民を、処罰もせずに放っておくだなんて、普通では考えられない。
 こともなげに、そんなとんでもないことを言い放った彼女は、こちらの驚きをよそに、あくまでも落ち着いている。こういうのを、大物の器とでも呼べばいいのだろうか。ふと、そんなことを思った。
「今は、惑星の基地開発によって、地域住民の反発が多い時期よ。そんな時期に、一般市民を第二級監禁で連れまわすのは、正直面倒だわ」
 銀髪が揺れる。その瞳が、どんなものを映しているのか、彼女の背後からではとても解りそうにない。
 新暦、一四九年。多発するテロリズムへの対抗策として、SUA側の執った政策は、あくまでもシンプルなものだった。――武力による徹底抗戦。それは折りしも、星間政権側の希望そのものと一致していた。
 同年に開発を開始された、各惑星での入植基地であったが、これは予想以上に現地住民達の反発を招くことになる。というのも、毎夜行われるアーマードのテスト訓練、爆破実験など、騒音だけでもキリがない。ましてや、その星のどこかにテロリストが潜伏しているかもしれないのだ。……これへの苦肉の策として、SUA側の実施した惑星移住によって、SUA自身も財政的な痛手を受けてしまうことになるのだが。
 ともかく、基地開発への民衆の反響は、それほどの投資が必要なほどに冷たく、大きなものであった。そんな状況下で、軍に連行される一般市民を見て、人々がどう思うか――。
「ですが隊長、それは……」
 そう、情報操作のひとつでもしてしまえば済む。例えば敵軍のスパイだとか、まあ言い訳だけならどうとでもなるだろう。
 だがそれに、彼女は首を振った。
「なに、別にタダで返してやるわけじゃないわ。……まあ、はっきり言ってしまうと、うちは今戦力不足でね」
 振り返ったその顔は、どこかにやりと笑っているように見えた。……拒否権はないのだと、雰囲気が告げている。は、とわけが解らないままに黒髪の女性に視線を配ると、ふう、と溜息ひとつこぼしているとこらしかった。なにやら、説得は諦めたらしい。
 コツリ、という足音に視線を戻す。先ほどまでの凛とした動作のままで、彼女の視線が、こちらを邪悪に見上げていた。
「君には、これからあの機体を動かしてもらうことにするわ。……まあつまるところ、軍の狗よ」
「はあ!?」
 トン、と肩に手を置かれる。それはまず間違いなく、その言葉を曲げる余地なしという宣告だろう。
 いや、ちょっと待て。いくらなんでもそれはないだろう。いくらなんでもまさか、単なる通りすがりの運び屋風情に、軍の最新鋭機を任せるなんて、そんな馬鹿な話は聞いたことがない。
 ……折りしも。そんな葛藤とは矛盾して、『そんな馬鹿な話』が、彼の眼前に顕現しようとしていた。
「よろしく」
 くすり、と残酷な微笑み。――思わず、それに見惚れてしまった自分が、ただどうしようもなく情けなかった。

 -◇ ◆ ◇-

 ブシュウ、と音を立てて解放されてゆく空気に、そっと触れるように、そのコックピットの中を覗き込んだ。無骨な、まだ何もないコックピットだが、せめて整備のひとつくらいはしておく必要はあるはずだろう。……それがたとえ、自分に与えられた役割でなくとも、何かしてなければ落ち着かなかった。
(……よく、やってくれたな)
 ぽん、と叩く。どこかその鉄の塊が、お疲れ様、と言ってくれた気がして――そんなものは夢想だと、いつか誰かが言っていたっけな。思わず、苦笑してしまう。それは、意思を持たぬ鉄。血を浴び、明確な殺意を体現するもの。ゆえに、そこにありとあらゆる感情があってはならない。
 どれだけヒトの形をしていても、どれだけ高度な人工知能を有していても、それは兵器でしかない。
 だが、と思う。もしも、もっと高度な人工知能が搭載されて、いつしかそれがヒトと同じ魂を得たとしたら、それは、果たしてヒトなのか機械なのか。――だから、それが夢想なのだと言っている。当時の上官はしかめっ面をして、仲間たちには大笑いされた。
 ヒトが、機械の力を、思考速度を越えることはありえないように。機械もまた、ヒトの域に辿りつく事はないのだ。
 ……そうして、ひとしきり笑った仲間たちも、しかめっ面をしたまま背を向けた上官も、今はもうどこにもいない。
 コンソールを起動させ、機体状態をチェックさせる。異常は、まあ、あるというわけではないが、自分でやれる程度のことをやればいいだろう。
 カタン、とシートを上げる。そこには予想通り、整備一式がセットとなって道具箱に用意されていた。とはいっても、あくまでも最低限のものでしかなく、本格的な整備ができるようなものではないが。
(……よろしく、って言われてもな)
 道具箱を取り出して、元に戻したシートに腰掛けながら、つい毒づく。正直なところ、どうすればいいのかは分からなかった。また戦場に戻るのかと、そう問いかけてくる言葉に、答えることも出来ない。どうすることも出来ずに――ただ流されているだけだ、本当に、情けなく。
 まず調整するのは、操縦桿の伝達率だった。昨日の限りでは、少々遊びが甘い。ガチャリ、とカバーを手早く外して、作業にかかる。
「ご苦労さんだねえ、ホント」
 カチャカチャという雑音に混じって、ふと響いた声に、思わず顔を上げる。そこには、紅い髪の少年が、外から顔を覗かせていた。その服装から察するに、恐らくは整備員の誰かなのだろう。
「あ……」
 と、手を止める。そういえば、ここでこうやっているのは無断だ。いくら自分が使った機体とはいえ、勝手に弄るのは……。
「ああ、いいからいいから。ほら続けて。そうやってくれると、俺らの仕事が少なくなって正直助かるよ」
 こちらの思考を言葉で遮って、彼は苦笑した。愛嬌のある、誰にでも好かれそうなその笑みに、つい頬が緩む。そしてまた、しゃがみ込んで作業へと戻った。
 彼は、変わらずに同じ場所でこちらを眺めていたが、声を掛けてくることはないらしかった。カチャリ、カチャリ、と作業を続ける音ばかりが、静寂とも沈黙とも言えない空気の中に響いてゆく。
 そんな緩やかな時間の中、操縦桿ばかりではない、タッチパネルの調整も終えて、ふう、と溜息を吐いた。これで恐らくは、当分調整の必要はないだろう。思ったよりも、少々やりすぎた感はあるのだが。
「いやあ、凄いもんだねえ」
 パタン、とカバーを閉めて身体を起こすこちらに、感心したように声が響く。そこには、変わらずの紅い髪が、こちらを覗き込んでいた。
「ウチのパイロットたちは、整備に関しては能無しだからなあ。あ、隊長は別格ですけど」
 当人がいるというわけでもないのに敬語になってしまう彼に、思わず苦笑した。なるほど、確かに、あの凛とした雰囲気の隊長なら、なんとなく整備もこなしそうな気がする。まあそれは、あの黒髪の女性――マキさん、だったか?――もそうなのだが。
 あ、と気付いたように、彼は顎に手を当てた。その仕草のひとつひとつが、どこか子供っぽく見えて、憎めない。
「そうか……自己紹介がまだだったんだ。俺は、整備班長のルギー曹長。ルギーディ・ウォンマイグ」
 よろしく、と差し出してくる手を握り返しながら、少し驚きもしていた。整備班長が、こんなにも若い、まるで少年のような人物だとは思えなくて。
 そんなこちらの様子を見て取ったのか、くすくすと、少年の三枚目にしかならぬ口許が笑う。悪戯小僧の、ちょっとした悪戯が成功したような。
「いいよ、別に。確かに若いって思うだろうけどさ、最近はどこも戦力不足だからね」
 ――戦力不足。あまりに重い言葉を、あまりに軽く言い放って、タン、と少年は装甲から身体を離した。それを追うように、エンジンを静止させた、コックピットから身体を離す。
 下を覗き込むと、そこには、地面に足をついて、折り畳んだ脚立を肩に担ぐ少年の姿が見えた。きっと、あれでここまで登ってきたのだろう。
 少年は、一度だけこちらを見上げてにっとしてから、踵を返す。背中越しに、手を振っているのが見えた。振り返そうと逡巡して……そうして、耳元の通信機が振動を伝えた。